2006年11月30日

●ハードもね。

刑事コロンボのコンプリートボックスが届いた。去年の発売時は、買い逃してしまい、惜しいことをしたとがっかりしていたところ、8月に再発売が決まったという情報を見つけて購入。45話だから見るにはずいぶん時間がかかるな。そもそも、DVDを見るのに使っていたメインノートが故障したままだし。
というか、HDDレコーダとあわせてプレーヤーを買うか。

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2006年11月29日

●素通り気味だった

和田城跡で銃弾発掘 信玄朱印状を裏付け(中日新聞)
高崎城(高崎市)が築城される前にほぼ同じ場所にあった和田城跡で、火縄銃の弾一個と従来の城絵図にない堀跡が発掘されたことが二十八日、県埋蔵文化財調査事業団の調査で分かった。和田城をめぐっては、戦国武将・武田信玄が弾搬入を命じた朱印状が残されており、これを裏付ける発見。同事業団は「和田城は戦略上の要地にあった。関東進出を図る武田氏と、前橋を拠点にしていた上杉謙信とで繰り返された城争奪戦を想起させる」としている。
箕輪城へは何度か行ったが、高崎城となると箕輪城の帰りに少し立ち寄るだけで、櫓以外特別見て回ってないな。なんでも、和田城櫓跡は、近世以降のものと判明し、史跡指定も解除されたらしい。見とけば良かったな。
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2006年11月28日

●せっかくいろいろ発見したことだし。

勝龍寺城の西辺部確認 長岡京市埋文センター (京都新聞)
 京都府長岡京市東神足2丁目で勝龍寺城跡遺跡発掘調査をしていた市埋蔵文化財センターは27日までに、江戸時代の武将の永井直清が築いた勝龍寺城の西辺部を確認した。発掘した同センターは「西辺部は江戸時代から伝わる絵図にほぼ似た形で出土した」としている。
訪れたのは、一昨年になるのかな。城址公園にはなっていたけど、とってつけたような感じだった。今回の調査でいろいろ出てきたようなので、もう少し保存なども充実させてほしい。
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2006年11月27日

●改名マニア?

ライブドアが社名変更へ、普通株式100株を1株に併合も (internetWATCH)
 ライブドアは27日、同社の社名変更について、12月22日に開催予定の定時株主総会に付議することを決定したと発表した。新社名は「株式会社ライブドアホールディングス」で、変更予定日は2007年4月2日。同じく12月22日の定時株主総会において、ライブドア株式の併合について付議することも発表した。
タイトルを見たとき、いろいろあったからまったく違う社名にするかと思ったら、ホールディングスを付けただけか。それにしてもよく社名を変えるな。最初がオンザエッヂで、エッジにして、無料ISPのライブドアを買収して今の社名だっけ? 社名変更って結構面倒。履歴書にどう書いていいかわからなくなる。分社化してグループ内転籍した会社が2ヶ月で社名変更したので、なんだかめちゃくちゃ。結局、○○グループ入社、退社にまとめて詳しくは職務経歴書にしてしまっている。
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2006年11月26日

●大坂城がそうだしね。

『一向一揆拠点』 白山市の船岡山城 金沢入城で利家大改修か(北陸中日新聞)
 戦国時代に加賀の一向一揆の拠点と考えられてきた石川県白山市八幡町の船岡山城が十六世紀末に、石垣を高くするなど大きく造り替えられていた可能性が高いことが、石川考古学研究会の佐伯哲也さん(43)=富山市=の調査で分かった。調査は一揆勢が敗れた後、加賀藩祖前田利家が金沢城に入城した一五八三(天正十一)年ごろに城は再整備されたという見方を裏付け、利家がつくった防衛ラインを考える上で注目される。
一国一城令発令前のことだから、出城の構築されいたとしても不思議ではないな。一向宗の拠点を城郭として再利用するのは、かなり多いな。一番の典型が大坂城だし。
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2006年11月25日

●鉄炮伝来展

国立歴史民俗博物館へ行く。
明日までの企画展「歴史のなかの鉄炮伝来」を見るのが目的。
まず、歴博がある一帯の佐倉城を一通り見て回る。
ちょうど入ると14時からのギャラリートークの時間で、宇田川さんの解説を聞く。宇田川さんの説が色濃く反映されている展示だった。
帰りに、ミュージアムショップでずいぶんと買ってしまった。

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2006年11月24日

●これは知らなかった。

「三城城」跡から聖具 キリシタンの歴史を刻む 大村市 花十字紋瓦を加工(西日本新聞)

 大村市教委は22日、キリシタン大名として知られる大村純忠の居城「三城城」の武家居住区跡地から、花十字紋瓦を転用したキリシタンの聖具を発掘したと発表した。三城城下からキリシタンの遺物が発見されたのは初めて。瓦は中央に花十字をあしらった軒先瓦で、直径8.8センチの円形。本来は教会の屋根に使われるが、瓦の外周を意図的に打ち欠き、信仰道具として使用したとみられる。大村藩は全国に先駆け、1606(慶長11)年に禁教令を敷いたとされており、市教委は「全国禁教令(1614年)より前に、潜伏キリシタンが存在したことを示す貴重な資料」と評価している。
まずこういった軒瓦があったことをはじめて知ったし、周囲を意図的に打ち砕いてあると、信仰用に用いられた証拠になるということもはじめて知った。
でも、潜伏キリシタンが持っていたのなら、軒瓦なんか作らないような気がする。それとも、軒瓦だけど実際に瓦としては使用しなかったということなのかな。

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2006年11月23日

●適正距離

煙のたすきで琵琶湖一周 のろし駅伝、45山城跡2時間かけ (京都新聞)<br>  戦国時代の通信手段だったのろしで、滋賀や岐阜に残る45カ所の城跡をつなぐ「第5回近江中世城跡琵琶湖一周のろし駅伝」が23日、行われた。  今年は、来春から始まる国宝・彦根城築城400年祭の成功を祈って彦根市の彦根城で開会式が行われ、午前10時に同市の佐和山城跡から、のろしのリレーがスタート。観音寺城(安土町)や南比良城(大津市)、松尾山城(岐阜県関ケ原町)など、時計回りで総距離200キロ以上を1周し、約2時間かけて再び佐和山城跡に戻った。

本当はいきたかったけど、日程の都合で断念したイベント。200キロを45城で伝えたわけだから、平均4.5キロ弱か。距離の問題は気になるところ。かたくなに2キロだと言い張る人もいれば、「10キロ以上でも大丈夫やろ」という人もいるしで、結構自分の研究にはいろいろとかかわってくる。本当のところは、「場所による」というところなんだろうけどねえ。調べた結果、見えてきた数値がその地域での適正距離ではないかと。

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2006年11月22日

●まずは資源の見直しを。

IPv4アドレスは数年後に枯渇、通信事業者の対応状況は? (internetWATCH)
 「IPv6 Summit 2006」が21日、秋葉原コンベンションホールで開催された。この中で「IPv4アドレス枯渇を乗り越えるために」と題したパネルディスカッションが行なわれ、キャリアやISPが現状のIPv6への対応状況や課題を語った。
相変わらず、IPv4の枯渇かあ。なんだかなあ。IPv6普及のために不安をあおってるようにしか見えない。5年前に取材で行ったが、さほど変化があったとは思われない。もともとは、IPv6によるさまざまな可能性が広がることを前面に出していた(具体例は皆無だったけど)はずが、いつの間にか「IPv4が枯渇するから…」という、ずいぶんと消極的なアピールに変わったものだ。 そもそも、無駄になっているIPv4は無いのだろうか。昔は常時接続に自動的に8個与えていたけど、途中から無駄に気づいて4個から与えられるようになった。つまり、4個で十分な顧客にも8個のIPを与えていたことになる。まずは、こういった無駄なIP資源を再利用すべきではないだろうか。
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2006年11月21日

●情報錯綜?

出石城「虎口」を確認 豊岡市出土文化財センター(日本海新聞)
 兵庫県豊岡市出土文化財センター(瀬戸谷晧所長)は二十日、同市出石町内町の出石城跡で、現在の役場に当たる「居館」への通路と推定される「虎口(こぐち)」の跡を確認したと発表した。この虎口をふさぐ形で別の石垣も確認。同センターは「全国の城主が敵の侵入から城を守るために取った防御方法を知る資料となる」としている。二十四日午後一時半から現地説明会を開く。
記事中で、出石城は1604年に小出吉英が築城とあり、さらに虎口を築いた後に石垣を改修した跡があり、防御機能を強化したとみられるとある。武家諸法度成立までの短期間に、防御強化の改修が行われたと考えられ、その目的が気になる。

とおもっていたら、読売新聞にこんな記事があったようだ。

出石城(兵庫県豊岡市):織豊期の石垣が400年ぶりに現れる
出石町の豊岡市指定史跡の出石城の発掘調査を行っていた同市出土文化財管理センターは、織豊期とみられる石垣が出土したと発表した。南北方向と東西方向の二つの石垣が出土し、東西の石垣の方が新しいものとみられた。同センターは、時代背景などから秀吉時代に前野長康などの出石城主の誰かが有子山城のふもとで実務を行う陣屋のような建物の基礎部分として築いたと推定している。また、出石城の始まりが秀吉時代まで遡ることが出来、出土した石垣は有子山城に繋がるものだったと考えられた。また虎口部分も出土したが、おそらくは情勢不安定で敵の侵入に備えるためか新しい石垣でふさがれていた。
もっと前に築かれていたということか。 もっと情報が出てこないとわからん。
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2006年11月20日

●世界遺産だらけ?

世界遺産に18候補が名乗り(共同通信)
 世界文化遺産の登録を目指し、全国の十九県が錦帯橋と岩国の町割(山口県)や佐渡金銀山遺跡(新潟県)など計十八件を候補として月内に文化庁に推薦することが二十日、共同通信社のまとめで分かった。
松本城や金沢の城下町も候補となっているそうだ。しかし、そんなに世界遺産に登録したら、世界遺産だらけになるではないか。客寄せのために申請しているだけじゃあ、せっかくの世界遺産も台無しになってしまう。
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2006年11月19日

●難手術。。。

瀕死状態のメインマシンのLet'sNOTEだが、LOOXでやったように、HDDを取り出して外付けにしようかと思ったけど、いろいろ調べてみた。その結果、Let'sNoteの場合、結構手間がかかるようだ。
専門業者にお願いしたほうが無難みたい。

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2006年11月18日

●東北といえば、

鳥海柵跡遺跡:掘っ立て柱建物跡など、新たに6棟の遺構--金ケ崎/岩手(朝日新聞)
 金ケ崎町西根の鳥海柵(とのみのさく)跡遺跡の発掘調査で今年度新たに掘っ立て柱建物跡4棟と竪穴式住居跡2棟の計6棟の遺構が見つかった。掘っ立て柱建物のうち3棟は出土した土師器(はじき)から安倍氏時代の11世紀の遺構とみられる。
東北といえば、やはり古代の城柵。安倍氏時代の遺構となると、奥州藤原氏との絡みもあるのかな。
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2006年11月17日

●「行かねば」ばかり。。。

掛川・国史跡『高天神城跡』 範囲広げ追加指定(中日新聞)
 国の文化審議会(阿刀田高会長)が十七日に答申した史跡名勝天然記念物の指定で、県内からは掛川市の国史跡「高天神城跡」(たかてんじんじょうあと)の指定範囲が広げられ、追加指定された。
 県教委によると、険しい地形を利用して築かれた高天神城は、北は東海道から南は海沿いにまでにらみをきかすことができた難攻不落の城。かつては「高天神を制する者は遠州を制す」と言われ、今川、徳川、武田の武将三氏によって、数々の攻防が繰り広げられたという。攻防の末、一五八一(天正九)年、城は徳川家康により攻め落とされ、廃城となった。
 城跡は一九七五(昭和五十)年に、国史跡に指定、二〇〇五年三月には指定範囲を拡大、追加指定されていた。今回は、敵の侵入を防ぐため南に延びる尾根を分断した堀切や見張台のほか、山すその一部が追加指定されることになった。

武田氏の歴史などでしばしば登場する高天神城。そっか、史跡指定が拡大したのか。ということは、それだけ広範囲で遺構が残っているとも言える。一度はいかねばならない城だけど、ますます行きたくなってきた。

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2006年11月16日

●現実を見るとね。

保険屋さんと会う。

昔の会社の営業部の友人の知り合いで、ちょうど体調を崩したときに紹介で保険に入ったという関係。一度、誕生日にそのもと同僚と三人であって祝ってもらったりもした。

お互いいまだに独身だし(イタタ。。。)、死んだあと残すよりも生きているうちの病気の保険を充実したほうがいいということで、プラン変更する。ついでに、久々に飲む。

家に帰ってメインマシンを起動するが、奇跡は起こらず。

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2006年11月15日

●重篤…

メインマシンが瀕死状態に。。。

最近、ノートPCが嫌な音をしていたので、そろそろバックアップして点検を出だそうと思っていた矢先。しかも、ほんの少し前まで動作していたのが急に。。。

授業用の資料はバックアップを取ってあったので、よかったけど、城廻の写真データなどがバックアップしていないまま。とりあえず、HDDが完全に死んだわけではない様子。

この週末にHDDを取り出して、外付けにして救い出せるかどうか。

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2006年11月14日

●使いこなせるかどうかわからないけど。

全13巻からなる小学館の「日本国語大辞典」、2007年夏からネット配信 (InternetWATCH)
 小学館とネットアドバンスは14日、「日本国語大辞典」のインターネット配信を行なうと発表した。サービス名は「日国オンライン」で、2007年夏の開始を予定。料金は個人向けが月額1,575円、大学や図書館、企業などの法人向けが月額15,750円。

日国.NETでは、日国友の会で日国を育てるプロジェクトを行っていたり、ネットの活用をしていたが、電子媒体での発売よりも先に、ネット配信が始まるとは思わなかった。

そういや、電子図書館システムのePEDIAは倒産しちゃったなあ。ちょっと、早かったか。

でも、月額1,575円は高いな。買い切りにならんもんかねえ。とはいえ、どこまで使うか。

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2006年11月13日

●いつだっけ?

三省堂の世界史Bの教科書を買いに都内へ。

この前は、10月末に高知行きのために羽田へ行った以来。

目的地が都内だったのは、もっと前。思い出せない。もしかすると、高校の文化祭以来か?

埼玉の奥地で働くようになってすっかりご無沙汰。

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2006年11月12日

●いいね。この連載。

最近、日経ネット関西版の連載「素顔の歴史」が面白い。

最新の6回目が「城の金箔瓦、権力の輝き」ということで、城郭の金箔瓦について書かれている。
5回目が「大阪城、土台は「徳川の城」」
4回目が「安土城に平安京模倣説」
なかなか、面白い内容が続いている。

それにしても、「信長の城・秀吉の城―織豊系城郭の成立と展開」展が開催されていたのか。知らなかった。失敗した。

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2006年11月11日

●一気に原始に。

弥生期楼閣の柱か、鳥取で出土…現存で最長7m(読売新聞)
弥生人の骨や脳などが見つかった鳥取市青谷町の「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」で、1999年に出土した長さ7・24メートル、直径17センチの杉の木材が、現存する弥生時代のものでは最長の建物の柱とわかり、鳥取県埋蔵文化財センターが10日、発表した。同時代に高層建物があったことを示す初の出土物で、調査した鳥取環境大の浅川滋男教授(古建築史)は「魏志倭人伝に記された『楼閣』(物見やぐら)が実在したことを裏付ける物証」としている。
城の歴史をさかのぼる場合、原点となるのが弥生時代の高地性集落であり、環濠集落となる。楼閣は、物見櫓として機能していたわけで、これが最終的には天守建築へとつながるわけだから、城郭研究から見ても貴重な発見となるだろう。
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2006年11月10日

●調査結果もだけど。

名古屋城・本丸御殿復元:跡地にセメント様の層 市、試掘調査公開 /愛知(毎日新聞)
 名古屋城本丸御殿の復元に向け、名古屋市が実施している本丸御殿跡地の試掘調査が9日、報道陣に公開された。 調査では礎石が点在する跡地に1メートル四方の調査区域を6カ所設けて、地面を試掘。その結果、砂利の下に3~4センチのセメント様の層が敷かれているのが見つかった。この層が59年の整備時に敷かれたものか、江戸時代に施工されたものかは今後調査していく。11月末までに跡地の地層状況などを調べ、分析結果をまとめる予定。
一番の焦点は、セメント層が江戸時代のものかどうか。 そうか、本丸御殿の復元にいよいよ着手するのか。調査結果もさることながら、こっちの事業も気になってならない。去年の名古屋城博で資金が集まったのかな。そういや、寄付しようと思って忘れてた。熊本城も。
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2006年11月09日

●行った県での発掘成果が多いな

田村城跡:室町期で県内最大の平城--南国市教委発掘結果 /高知(毎日新聞)
 室町時代の土佐守護代だった細川氏が築いたとされる田村城跡(南国市田村)の発掘調査結果を7日、南国市教委が発表した。内堀に囲まれた城内の規模が明らかになり、南北約120メートル、東西約100メートルと判明した。市村高男・高知大教育学部教授は「守護所の実態は全国的に明確になっていないことが多く、当時の様子を知る貴重な遺跡」と評価している。【米山淳】
先月行ったばかりの高知での発掘成果。 室町期とあるように、戦国期に入る以前のもので、守護所にあたるようだ。 すでに行われた発掘調査では、内堀が幅7メートル、深さ2.2メートルとかなりの大きさを持ち、それだけでもかなりの規模の城だということがわかる。 山城以上に残っていることが難しい貴重な平地城館だけに、12月の外堀の発掘調査でどのような成果が出てくるか、とてもきになるところ。
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2006年11月08日

●西の京都ですな

大内氏築山跡の南限確認-山口(山口新聞)
山口市教委が市内上竪小路の「史跡大内氏築山跡」で進めていた発掘調査がほぼ終わり、4日午後2時から一般市民を対象にした現地説明会が開かれる。史跡の南側から堀の遺構が出土し、築山跡の南限が確認できた。
現地は旧料亭「菜香亭」があった八坂神社の境内地。市が取得後、遺跡公園整備のため6月から発掘調査していた。
佐藤力文化財保護課主任主事によると、調査したのは約400平方メートル。堀遺構は表通りの築山小路に沿って出土したもので延長20メートル以上、幅3メートル以上、深さ1メートルの規模。
大内館跡の堀と比較して幅は同じ程度だが深さは浅い。土師(はじ)器などの出土品から堀が築造されたのは29代大内政弘から30代義興の時代と推定している。
今回は本格的には第1次の調査。来年度以降も発掘調査を続け「築山跡が指定範囲より広がっているのかどうか、南側の堀の角地を確認したい」という。
大内氏館とは別に、別邸として築山が存在していたということか。知らなかった。 調べたところ、山口は応仁の乱の際に、都の貴族や僧侶が避難することで、栄えた町ということで、宗祇が句を詠んだこともあるそうだ。まだまだ調査が継続されるようなので、全貌の解明を期待したいもの。
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2006年11月07日

●高校が破壊するのか。

菊池高 敷地内で菊池一族の館?発見  大規模な堀と建物跡(くまにちコム)
 県教委は三日、菊池市隈府の菊池高校の敷地内から、菊池一族とみられる中世の武士の館跡が見つかったことを明らかにした。校舎建て替えに伴う、埋蔵文化財の発掘調査で分かった。

この発掘調査で、菊池一族の館があったという言い伝えが裏付けられたことになる。幅約3メートル・深さ約2メートルの堀に、掘立柱建物群と呼ばれる三十近くの建物の跡や柵跡が発掘され、規模は約100メートル四方と推定され、一辺はほぼ完全な形で今回発掘された。堀の規模はなかなかのもの。
せっかくの発掘成果も、校舎建て替えのため、一部は埋め戻して保存される一方で、一部は貯水タンクの埋設のため破壊されるそうだ。すでに、保存会が発足していて、保存の要望が出ているが、はたしてどうなるか。教育機関が、貴重な遺構を破壊するとはねえ。

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2006年11月06日

●再指定の可能性は?

土盛りの発掘調査始まる(東日新聞) 蒲郡市教育委員会は9日から、中世の城跡と見誤っていため昨年、史跡指定を解除した土盛りと周辺を発掘調査する。市道新設に伴う事前調査で、土盛りが江戸初期の旗本屋敷のものとする確認の調査でもある。
史跡指定の解除のニュースを以前見た記憶があるのだが、ブログ内を検索したけど見つからず。中世の城跡でないからと、史跡指定を解除したが、「徳川家康を生んだ松平本家に近い竹谷松平家の旗本屋敷跡の土盛り」というのであれば、それはそれで非常に価値のある遺構のような気がする。

調査の結果、再度江戸初期の旗本屋敷跡として、史跡指定される可能性があるのだろうか。まあ、市道建設が優先されそうだが。

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2006年11月05日

●終了、してた、んだナ。

ちばテレビの「HELLO JAGUAR」が10月で終了したのを知った。

最近、見逃すことが多かったが、千葉の誇るスーパースタージャガーさんを見ることが出来なくなったのか。

寂しいねえ。

また、復活、すると、いいナ。

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2006年11月04日

●まあ、こうなりますわな。

ソフトバンクモバイル、3連休の客足鈍いスタート(NIKKEI.NET)
 ソフトバンクモバイルは3連休初日の3日、番号継続制度に伴う乗り換え手続きを通常通り実施した。前週末に起きたシステム障害の再発は回避できたが、機種変更などの通常業務を停止したこともあり、同社販売店の客足は鈍化している。通話料や端末の「0円」をうたう広告手法が消費者の困惑を招いたことも影響しているとみられ、一連の騒動が新制度の序盤の商戦に影響を与えた格好だ。
まあ、当然といえば当然。 そもそも、すでに公取委からも注意されたように、調べれば調べるほど料金プランが不透明で、とても乗り換えをしようという気にはならないだろう。自分自身、プラン変更をする気がしない。使い慣れたキャリアだから、本体の信用度とは別に、キャリアを変える気は今のところないが、自分にあった料金プランがまったくわからない。多くのユーザーが同様ではないだろうか。 MNOが始まったということで、新規獲得もいいが既存契約者の確保も大事だろう。いっそのこと、使用状況に応じた料金プランコンサルティングサービスでも始めたらどうだろう。
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2006年11月03日

●深谷城

深谷城というか、齋藤慎一さんの講演会へ行く。
齋藤さんの講演は、箕輪城発掘現地説明会以来だったが、今日は随分と初心者向けに近い内容だった。とはいえ、中世城館の特徴をみつつ、限られた史料から深谷城の位置づけを考察するというもので、大いに興味のある内容だった。自分があそこまでできるかというと、まだまだ勉強が足りない。
肝心の深谷城自体は、発掘調査自体は終了して埋め戻されており、お城風につくられた城址公園があるのみ。

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2006年11月02日

●大手というからには。

仙台城跡:発掘、巽門東に大規模堀 市教委、きょう現地説明会 /宮城(毎日新聞)
 仙台市教委が実施中の仙台城跡の発掘調査で、三の丸巽(たつみ)門の東側に大規模な堀があったことと、二の丸周辺に上級武士の屋敷跡がそれぞれ確認された。市教委文化財課は、「堀の存在は巽門が城の正面だったとの見方を補強し、屋敷跡は上級武士の生活の一端をうかがわせる」と話している。現地説明会は三の丸跡は28日午前10時半、二の丸周辺跡は同日午後1時半。
仙台城も伊達政宗時代の石垣の発見以来、いろいろと発掘調査が進んでいる。 城の大手の向きが変わるというのはよく聞く。伊達政宗期の石垣が埋められて新たに石垣が組まれたころに、大手が変わったのだろうか。大手門が残っている以上、どこかの時期で巽門から大手が移ったと考えられる。 それにしても二の丸と三の丸を同時に発掘調査をするとは、随分力が入っているな。
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2006年11月01日

●木組み遺構だけでもすごいけど

国内初?地下木組遺構確認/深さ5メートル、用途は不明/喜多方の新宮城跡(福島民報)
 会津芦名氏の祖、佐原義連(よしつら)の孫・時連が13世紀に築城したとされる喜多方市慶徳町新宮の新宮城跡で、全国で初めてとみられる地下木組遺構が確認されたことが30日までに分かった。用途は謎で井戸などより複雑な構造。地下室として使用された可能性もある。中世の方形城館の木組遺構としては全国最大級だという。市教委が城跡の範囲調査のため発掘、確認した。市教委は29日に調査指導委員会を設立、貴重な歴史的遺構の残る同城跡の国史跡指定を目指す。
出土例の確認もないということで、まだまだ用途などを含め、不明な部分が多い。普通に考えれば、地下室などに用いるのなら、石組みとなるはずだが、どういう目的と意図で、木組みにしたのだろう。 記事を読む限り、規模といい、木組み遺構以外もかなり興味深い。
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