2007年02月28日

●過保護?

ただいま、期末試験を作成中。

すでに、どの問題を使って出題するかを発表しているんだから、

「どうやって点を取らせるか」

なんて考えていたら、いつまでたっても学力はつかないように、思うんだけどなあ。

ある出来事の年代を問う問題を、出来事から年代を問う問題に変えただけで難しいってねえ。

もちろん、まんま同じ問題でもさっぱりできない生徒もいるから、最低限の点数が取れそうにする工夫は要るけど。

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2007年02月27日

●ほしいな。

「国宝4城」構造や役割詳しく  彦根市など協議会がパンフ発行(京都新聞)
 国宝の城を持つ滋賀県彦根市と兵庫県姫路市、愛知県犬山市、長野県松本市でつくる国宝城郭都市観光協議会はこのほど、パンフレット「国宝4城への旅」を発行した。世界文化遺産に登録されている姫路城など、築城技術の粋を凝らした各城の防御構造などを分かりやすく紹介している。

国宝4城をまとめて紹介したパンフとはそうそうないので、ものすごく気になる。2万部だと、もうなくなっているだろうな。

でも、意外とがっかりな内容だったりするんだよな。これが。

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2007年02月26日

●悲しいとき~。。。

今日は日本史的には、二・二六事件の日。

陸軍皇道派の青年将校らによるクーデター未遂事件。

1936(昭和11)年のこの日の早朝、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが暗殺されました。

どうやら、高橋是清は裸で寝る癖があったそうで、
事件当日、青年将校が高橋邸に押し入ったところ、
高橋はまだ寝ていたので寝室に向かうと、いつも通り裸で寝ていたらしい。

青年将校もさすがに裸で殺すのは忍びないということで、

近くのいすにかけてあったガウンをとって、

渡しながら、、、


「高橋、これ着よ」

といったとか。

この前高1の授業で話したけど、

しーーん。。。

さびしかった。。。

「ドッジでもいい」

はまだ反応があったんだけどなあ。。。

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2007年02月25日

●バイタリティー。

鳥取城築城、通説覆す 宮部父子期に現存城郭形成 (日本海新聞)
 鳥取市出身で富山大大学院の細田隆博さん(26)が、国史跡・鳥取城(鳥取市東町二丁目)の石垣を考古学的に調査し、これまで不明だった池田光政期以前の石垣の変遷を四期に分けて明示した。鳥取城石垣の総合的な調査は初めて。古い石垣の見つかった天球丸など現存する城郭の大部分が、羽柴秀吉の因幡攻め(一五八〇、八一年)の後に城主になった宮部父子によって築かれ、大手の位置は南ノ御門にあったと推測する。鳥取城築城の通説を覆す内容で注目を集めそうだ。
石垣を使った編年か。これは実際に発掘現場に立ち会わないと、なかなか難しいだけに、非常に興味深い。 本当はこういった研究が自分もできればいいんだけどねえ。まだまだ力不足というか。気力不足。

研究成果もすばらしいし、なによりこういった研究を行うバイタリティーを尊敬するし、うらやましい。

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2007年02月24日

●生徒よりも大変かも。

ただいま期末テスト作成中。高校1年と2年の世界史。

これがなかなか難しい。

元となる問題が決まっていたりと、問題に結構制約がある。

一番難しいのは、生徒がそこそこ取れるようにすること。こればかりは想像がつかない。

問題を解く生徒よりも、大変かも

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2007年02月23日

●こちらの現地説明会は?

前橋城三の丸遺跡:障子堀など発見 /群馬(毎日新聞)
 前橋市大手町の「前橋城三の丸遺跡」で、堀の底に凹凸を設け、敵の城攻めを防いだ17世紀中ごろの「障子堀」や、川越藩9代藩主松平典則(つねのり)(1836~83)の隠居後の屋敷「静寿斎(せいじゅさい)邸」とみられる江戸時代末期の礎石などが発見され、調査した県埋蔵文化財調査事業団が20日、現場を公開した。石守晃・総括専門員は「前橋城が時代と共に東側に拡張されていった過程がうかがえる」と話した。  前橋地裁の裁判員制度導入に伴う法廷の増築工事のため、1月から約600平方メートルを調査していた。
昨日は箕輪城の現地説明会を行き逃したことが判明したけど、こちらは平日に報道陣に公開されたようだ。現地説明会はないのだろうか。 それにしても、またもや堀障子か。よく出てくるな。 箕輪城はなんだかんだで、3回行っているけど、前橋城は行ってないな。現地説明会とは別にして、一度は行ってみてもいいかな。
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2007年02月22日

●行き逃した。。。

高崎・箕輪城跡 三の丸にも堀(上毛新聞)
高崎市箕郷町の国指定史跡「箕輪城跡」の発掘調査で、本丸西側の三の丸地区に幅十八メートル、深さ十メートルの大きな堀があったことが判明した。本丸地区で確認された堀跡とつながっていた可能性が高く、出土した磁器の破片などから戦国時代に活躍した長野氏か武田氏時代の遺構とみられる。一九九八年度から続いた市教委の発掘調査は本年度で終了。今後は史跡公園整備に向け報告書を作成する。
毎年3月上旬に行われる箕輪城の現地説明会があったようだ。記事を見ると、調査は今年で終了というから、失敗したなあ。調査報告書が楽しみ。でも入手できるだろうか。
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2007年02月21日

●悪気がないと言うけどねえ。。。

ローマ法王に献上の屏風絵は無断模写 安土町作家に謝罪(朝日新聞)
 滋賀県安土町が05年11月にローマ法王ベネディクト16世に贈った安土城を描いたミニ屏風(びょうぶ)が、同町城郭資料館に展示されている陶板壁画を無断で模写したものだったことがわかった。同町の津村孝司町長が21日、壁画の原画を描いた広島県福山市在住の画家、宇田妙子さん(74)を訪ねて謝罪した。町側は「著作権に関する認識が甘かった」としており、今後、宇田さんの名誉回復策を検討するという。
「商業ベースの話ではないと考えていた」というが、商業ベースでなければ模写して配っていいものっていうわけでもないだろうに。今回の件で、ビョウブログのトップからも壁画の画像がはずされているが、結局どこまで使うかについてしっかりと話してこなかったのが、やはり大きな問題。 もっとも、 >町によると、(模写した)日本画家から著作権に関する宇田さんの許諾の有無を確認されたのに、 >町の担当者は許可を得たようにうそを言ったという。 というから、悪質という感じも。
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2007年02月20日

●やっておいた方がいいのだろうけど。

2月も下旬に差し掛かって、私立大学の入試も佳境。

一応、社会科の教員として、主要大学の問題をチェックしておいた方がいいのかな。周囲の教員を見る限り、あまりそういったことをしている気配はないなあ。

そもそも、自分が担当しているクラスは一般受験をしない生徒がほとんどだったり。

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2007年02月19日

●結構歓迎だったり。

ひこにゃん人気沸騰! でも肝心の「彦根城400年祭」は… (産経新聞)
 彦根市で3月21日に開幕する「国宝・彦根城築城400年祭」のPRに奔走する実行委員会(彦根市などで構成)のメンバーらが複雑な表情を浮かべている。マスコットキャラクター「ひこにゃん」が全国区の人気となる一方で、祭り自体は知名度が上がらず、今ひとつ盛り上がりに欠けるためだ。このままでは本番も、PRイベントやグッズで“売れっ子”のひこにゃんの人気頼みとなりそうだ。

知らないうちに、彦根城400年祭のマスコットきゃらの「ひこにゃん」が大人気のようだ。初めて見たときは、正直「どうよ…」って思ったんだけどなあ。
ただ肝心の「400年祭」の知名度がいまいちというが、「ひこにゃん」を知っているなら、どうしたって「400年祭」のことを知ってるはずなんだけどなあ。どうやって、「ひこにゃん」だけを知るんだろう。まあ、知ってはいるけど、どうでもいいというところなのだろう。
個人的には、おととしの名古屋城博のような大盛況ぶりになるよりは、ひっそりと行われている方がありがたい。結構不人気は歓迎だったり。あの時は愛地球博も開催されていたというのも影響したのだろうけど。
とりあえず、3月にでも行ってみるかな。

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2007年02月18日

●城攻め資料の決定版?

原城絵図から「島原の乱」実態迫る 佐賀で講演会(佐賀新聞)
 新たに発見された絵図から島原の乱(1637―38年)の実態を読み解く講演会が17日、佐賀市の県立図書館であった。県文化課の宮武正登さんが、島原の乱における佐賀藩の役割や戦いの苛烈さなどについて解説した。

元はといえば、エントリに入れていなかった2月13日のこのニュース。

島原の乱、佐賀藩布陣詳細に 「原城絵図」発見(佐賀新聞)
 江戸初期に起きた「島原の乱」の激戦の地、原城(南島原市)に出陣した佐賀藩などの軍勢の配置を描いた絵図が見つかった。原城攻防の絵図は多く残るが、佐賀藩の各武将の配置までを詳細に記した絵図の発見は初めて。調査した県立図書館などは「文献史料や発掘遺構と符合する部分も多く、攻防の実態を解明する貴重な史料になる」と話している。
記事の写真を見ると、墨書ながらかなり詳細に書かれた絵図で、これはなかなか興味深い。これ以後、鳥羽・伏見の戦い・戊辰戦争にいたるまで城攻めはなく、城攻めの一つの集大成とも言える。島原の乱だけでなく、ほかの城攻めを考える上でも参考になるだろう。 博物館で見るのもいいけど、図録やデジタルデータでじっくりと見てみたい。
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2007年02月17日

●正確には、「堀障子」だとか。

騎西城裏手に「障子堀」 萩原遺跡で17日一般公開 戦国時代の遺構(埼玉新聞)
 騎西町外川の萩原遺跡発掘現場で、騎西城の背後となる西側部分から、堀の底をあぜ道状にして外敵の侵入を防ぐ「障子堀」が発見された。同町教委は「入り口のある南側や東側は堅固な城だが、西側にも備えがあったのは予想外。戦国時代にこの地が守りの拠点だった可能性がさらに高まった」としている。十七日の遺跡見学会で、出土品とともに一般公開する。
今日現地説明会だったのか。知ってたとしても、授業があったから無理だったけど。 堀障子も最近いろいろなところから出てくるね。埼玉だと深谷城や滝の城、メジャーなところでは大坂城。防御にどの程度の江華があったのかが、すごく気になる。
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2007年02月16日

●フランスか?

「安土城之図」別の場所に移動か 帰国の町調査団が発表(京都新聞)
 織田信長がローマ法王に献上した屏風(びょうぶ)絵「安土城之図」を探すため、滋賀県安土町が、イタリアなどに派遣していた調査団(団長・若桑みどり千葉大名誉教授)が帰国し、16日に同町役場でした記者会見で、屏風絵がバチカン宮殿の「地図の画廊」の改修でほかの場所に移された可能性が高いと発表した。

やっぱりフランスかなのかな。こうなってくると、屏風絵が大切に取り扱われていたかがすごく不安。

フランスだと日本の明治初期にジャポニズムということで、日本ブームがあったから、そのときに「そういえば…」という感じで、掘り出されていても不思議じゃないんだけどな。

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2007年02月15日

●行ったそばから、、、

【伊賀】上野城跡で想定外の石垣を発見 伊賀市教委、17日に現地説明会(中日新聞)
 伊賀市教育委員会が進める同市上野丸之内、国史跡「上野城跡」の城代家老屋敷跡の本年度発掘調査で、敷地内の北西部の倉庫跡から、これまで考えられていた構造とは異なる石垣が見つかった。
 当時の屋敷の正確な構えを知る上で貴重な資料という。17日午前10時から現地説明会がある。参加は無料。
去年夏に訪れた伊賀上野城で、思いもよらぬ石垣が見つかったようだ。去年は確か、筒井古城に天主があった可能性も指摘されていたな。 富山城といい、行ったばかりの城で何らかの発見がされることが多いなあ。
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2007年02月14日

●お礼はどうする?

今日はバルタン星人の命日。ん?

ということで、高校にいると、こんな私でも、心優しい生徒から授業終わりにいろいろと渡されます。

授業終わりに、パーティー用の袋入りのチョコをみんなで、1つずつ5,6人で教卓に置いていくこともあるけど、手作りのものもあって、恐縮してしまう。自分が特別というわけではなく、「○○個作った」なんて会話も耳にした。男子校育ちなので、わからなかったけど、やはり一大イベントのようだ。

ホワイトデーのお礼はどうするんだろう?学校は休みだし。

チョコをたくさんもらってお礼で悩むのは、同僚社員やバイトに、女性が多かった7年前の社会人のとき以来かな。

良くも悪くも、本命は無しでした。

なぜか、男子からも1つ。授業中冗談で宣言していたと思ったら、律儀にチョコボールを渡してきた。

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2007年02月13日

●なんだか重い。

メインマシンが復活して以来、なんだか動作が重い気がしてならない。

環境の見直しをしているけど、あまり効果はない様子。

そもそも、そんなに高速化のために環境をいじった覚えはないんだけどな。

気になるのは、復活後にインストールしたウィルスバスター。故障前はマカフィーだったので、もしかすると、原因はそこかもしれない。

そういえば、レッツノートは無償チェックキャンペーン中で、自分のメインマシンのように、HDD換装済みでも大丈夫らしい。申し込んでみようかな。

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2007年02月12日

●今頃になって初めてか。

【三河】「上ノ郷城」実在裏付け 蒲郡市教委発掘調査(中日新聞)
 戦国時代の豪族、鵜殿(うどの)氏が治めた「上ノ郷城」とされる蒲郡市神ノ郷町の史跡で進められていた同市教育委員会の発掘調査で、城の土台とみられる石組みなどの遺構が見つかった。文献や伝承で城の存在は確認されていたが、物的証拠によって実在が初めて裏付けられた。
文献や伝承があったのに、これまで発掘調査が行われていなかったというのも、なんとも驚き。今後も調査を行って全容解明を目指すというから期待しよう。

初めて実在が裏付けられたというだけに、どこまで遺構が残っているかが心配。

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2007年02月11日

●感服

今日は少し遅めの新年会。

それも、今までにないメンバーで。

主催者の自宅で開かれて、長い時間ずっといろいろと料理を出してくれた奥様には感服。

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2007年02月10日

●まあ、第一歩といったところ。

幻の屏風絵「安土城之図」、バチカンに「痕跡」確認(朝日新聞)
 16世紀に織田信長が狩野永徳に描かせ、天正遣欧使節がローマ法王グレゴリオ13世に献上した屏風(びょうぶ)絵「安土城之図」の手がかりを得るため派遣された滋賀県安土町の調査団(団長・若桑みどり千葉大学名誉教授)が9日、ローマで記者会見した。調査団は、1585年3月に献上された屏風が、その後少なくとも7年間はバチカン宮殿内の展示室「地図の画廊」に置かれていたことが確認されたと発表した。
痕跡だから、まだまだといったところだけど、やや前進か。ヴィンケの書簡と外交文書の2つによる確認だから、かなり確度は高い。とはいえ、1592年時点までの存在の確認だから、現物にたどり着くまではまだまだ先になりそう。

記事には、
>フランスのイエズス会士による1736年の文献に安土城の挿絵があることから
>屏風が外に持ち出された可能性も。現在もバチカンに残っているかどうかは不明という。
ともあるので、フランスへ調査が広げられるのか、気になるところ。

せっかくのニュースなのに、ビョウブログが更新されないのはどうなんだろう。もう1年近く更新されていないな。

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2007年02月09日

●新天地で羽ばたけ。

シダックス:選手の移籍先ほぼ決まる 坂田、徳山新天地へ(毎日新聞)<br>  昨年11月に解散した社会人野球チーム、シダックス(東京都調布市)の選手たちの移籍先がほぼ決まった。野村克也元監督(現楽天監督)から薫陶を受けた坂田精二郎捕手(32)は、発足2年目のセガサミー(東京都)へ。最後の主将としてチームをまとめた徳山聖訓外野手(30)は、今年誕生したばかりのヒタチエクスプレス(愛知県小牧市)にプレーの場を求めた。再出発を期す2人を追った。
徳山と坂田をメインにした記事だけど、シダックスの選手は25人中23人が現役続行で、ほぼ移籍先が見つかったとのこと。

細かい移籍先は後日まとめて。

育成枠の中村も絶好調で、早期支配下登録もある感じで、いよいよ新天地へと羽ばたいていきます。

引退する2選手の1人は、どうやら松岡らしいが、もう1人は誰だろう。

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2007年02月08日

●ウィンドウズがいいというわけじゃないけど。

めずらしく、同僚の話。
同じ社会科の講師で日本史担当ということで、先輩でいろいろと頼りにはなるのだけど、気になる点が。
マックユーザーで、テスト問題もマックで作成している。当然模範解答も。これが、ほかの教科ならいいのだけど、日本史の場合には、正しい漢字で打ち出されていないことがしばしば。「たと」とか「にちれん」の正しい漢字は、文字コードの関係で表示されず、別途外字フォントを入れないといけない。ところが、模範解答では本来誤答としなければいけない表記で印刷されてくる。
取りまとめ担当となっているので、こっちがいきなり買って出るのもおかしいし、わざわざ作り直すのもカドが立つから、むずかしいところ。
こういう場合に限れば、ウィンドウズの方が便利。

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2007年02月07日

●注目されるのも良し悪し

マナー悪化で登山が許可制に 彦根市の佐和山
 戦国武将、石田三成の居城跡がある彦根市の佐和山が、昨年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で舞台の1つになったのを機に登山者が急増、ごみを放置するなどマナーの悪化が目立つようになり、同山の土地の大部分を所有する清涼寺が入山を許可制としている。

こういう不心得者がいると、安土城のように、拝観料という名目で有料にされてしまう。

まあ城好きではないだろう。登山愛好者でもないだろう。

大河ドラマでこういった城が注目されるのも良し悪し。

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2007年02月06日

●本来のあり方。

会津若松市が広報映像をYouTubeにアップしている。
今現在閲覧できるのが、鶴ヶ城の復元事業に関するもの。これがなかなか興味深い。
著作権侵害などで、何かと問題の多いYouTubeをこういった形で活用するのは、なかなか面白い試み。それも行っているのが自治体だからなおさら。
こういった有効活用は大いに歓迎。
まあ、これが本来のあり方だったのだろうけど。

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2007年02月05日

●今年の話題の中心?

礎石ほぼ完全に出土-高松城天守閣跡発掘調査(四国新聞)

 高松城(香川県高松市玉藻町)の天守閣跡発掘調査で、天守閣の一階部分にあたる穴蔵の発掘がほぼ終了し、床面から柱の土台となる約五十個の礎石がほぼ完全な形で出土した。市教委は「予想以上の成果。天守閣の構造を解明する貴重な手掛かりになる」としている。また、発見が期待されていた天守閣の部材は見つからなかった。

高松城の発掘調査は、どんどんと新たな成果が出てくる。疎石が出てきたというのはかなり大きい。
発見が期待されていたという部材は、個人的には期待していなかった。玉藻廟を作るときに、廃棄されても不思議ではないしね。

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2007年02月04日

●かなり深いなあ。

堀の底の構造が判明 中津城、予想よりも深く(大分合同新聞)
 黒田藩時代(十六世紀末)に築かれたとみられる中津市の中津城本丸南側の石垣と堀を修復している市教委は一月三十一日、堀の底が当初予想されていたよりも深く、石垣の下にさらに礫石(れきいし)を重ねた構造と分かった、と発表した。城の堀の実態が分かるのは九州でも珍しく、市教委では「近世城郭の構造をより鮮明にするヒントになるのでは」としている。

写真を見る限り、非常に深い堀になっている。確かに、水堀だと水を抜かないといけないので、なかなか調査が行われにくい。大坂城のように、こちらは発掘調査でだけど、堀障子が発掘されたりと、まだまだいろいろな発見がある。最近だと、富山城が堀の水を抜いて石垣の修理を行っていたが、どうだったのだろう。

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2007年02月03日

●一応、れっちりだしね。

海保に原寸大の伊能図写し 色彩豊かに大分、宮崎描く(北海道新聞)
 江戸時代の測量家、伊能忠敬(1745-1818)が作成した全国地図のうち、大分県から宮崎県周辺の大図(3万6000分の1)の詳細な原寸大写し3枚が、2日までに海上保安庁海洋情報部で見つかった。
全国を回った「伊能図の世界」は、日大文理学部へ見に行って、その精巧さに感心したもの。海上保安庁でコピーの閲覧ができるらしいので、見てみたい気もするけど、なんか 行くには敷居が高いな。

一応歴史地理だったし、押さえておかないと。

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2007年02月02日

●普通にシーズン真っ只中だし。

シーズンオフなのに 鬼ノ城人気 総社 登山道遺構暖冬で来訪者続々(山陽新聞)
 総社市奥坂の古代山城・鬼ノ城が、シーズンオフの冬にもかかわらず人気を集めている。暖冬で比較的歩きやすいことが原因とみられ、休日には登山道や遺構を多くの人が散策する光景が見受けられる。
寒いから大変という考えなんだろうけど、山城は草木の生い茂った夏よりも冬枯れのこの時期が訪れるには絶好の季節なんだけどねえ。欠点としては、記事にも出ているように、地面が雪が降って凍結してしまう場合があるのは確か。 例年と違うのは、暖冬なだけでなく発掘調査が進んでいる広まっているので、訪れたいという愛好家は多いはず。前にも書いたが、城門が整備されたら行くつもりだし。(そうなると、GWか夏まっ盛りになってしまうが)
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2007年02月01日

●石切り場だけじゃないな

越前赤瓦の窯跡発見 福井城で使用か 17世紀中ごろ 生活雑器と出土(日刊県民福井)
 越前町教育委員会は三十一日、同町平等(たいら)の丘陵斜面から近世の城郭建築に用いられた大量の越前焼の赤瓦を含む窯跡を発見した、と発表した。十七世紀中ごろに生産された最初期の越前焼の赤瓦とみられ、福井城跡や金沢城跡から出土した赤瓦とも文様や焼き具合などが類似。同時代の赤瓦を焼いた窯が見つかったのは初めてで、町教委は「近世における赤瓦の生産と流通を探る上で重要な発見」としている。
最近、城郭研究では石切り場に注目が当たりつつある。石垣があるなら、当然屋根瓦もあるわけで、むしろ土塁の城でも屋根瓦を使う場合もある。となると、かわらを焼いたと思われる窯場というのも、調査対象としてはなかなか面白そうだ。
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