2007年02月17日

●正確には、「堀障子」だとか。

騎西城裏手に「障子堀」 萩原遺跡で17日一般公開 戦国時代の遺構(埼玉新聞)
 騎西町外川の萩原遺跡発掘現場で、騎西城の背後となる西側部分から、堀の底をあぜ道状にして外敵の侵入を防ぐ「障子堀」が発見された。同町教委は「入り口のある南側や東側は堅固な城だが、西側にも備えがあったのは予想外。戦国時代にこの地が守りの拠点だった可能性がさらに高まった」としている。十七日の遺跡見学会で、出土品とともに一般公開する。
今日現地説明会だったのか。知ってたとしても、授業があったから無理だったけど。 堀障子も最近いろいろなところから出てくるね。埼玉だと深谷城や滝の城、メジャーなところでは大坂城。防御にどの程度の江華があったのかが、すごく気になる。
Posted by 向かうところ手品師 at 2007年02月17日 23:06
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