2006年11月08日

●西の京都ですな

大内氏築山跡の南限確認-山口(山口新聞)
山口市教委が市内上竪小路の「史跡大内氏築山跡」で進めていた発掘調査がほぼ終わり、4日午後2時から一般市民を対象にした現地説明会が開かれる。史跡の南側から堀の遺構が出土し、築山跡の南限が確認できた。
現地は旧料亭「菜香亭」があった八坂神社の境内地。市が取得後、遺跡公園整備のため6月から発掘調査していた。
佐藤力文化財保護課主任主事によると、調査したのは約400平方メートル。堀遺構は表通りの築山小路に沿って出土したもので延長20メートル以上、幅3メートル以上、深さ1メートルの規模。
大内館跡の堀と比較して幅は同じ程度だが深さは浅い。土師(はじ)器などの出土品から堀が築造されたのは29代大内政弘から30代義興の時代と推定している。
今回は本格的には第1次の調査。来年度以降も発掘調査を続け「築山跡が指定範囲より広がっているのかどうか、南側の堀の角地を確認したい」という。
大内氏館とは別に、別邸として築山が存在していたということか。知らなかった。 調べたところ、山口は応仁の乱の際に、都の貴族や僧侶が避難することで、栄えた町ということで、宗祇が句を詠んだこともあるそうだ。まだまだ調査が継続されるようなので、全貌の解明を期待したいもの。
Posted by 向かうところ手品師 at 2006年11月08日 23:06
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