2005年10月21日

●獅子吼城

若神子城のあと、獅子吼城へ向かう。

こちらものろし台が復元されている。しかも、若神子城が「はねつるべ式」なのに対して、こちらは「煙突式」。のろしの里を標榜するだけあって、須玉町(当時)は芸が細かい。

若神子城とは打って変わって、整備がほとんどされていない。道に迷いそうで怖いくらい。と言うか、道がところどころ確認するのも困難なほど。本郭へ近づくにつれ石積みが残り、遺構がわかる。本郭へ着くとちょうど日が差し込んでスポットライトが当たるような感じで、のろし台が見える。近寄ってみると、木ではなくトタン板だった。がっかり。錆びたおかげで遠めには木製に見えるから曲者。

本郭もほとんど手が入っておらず、木もかなり生い茂っているのだが、のろし台のある南側の若神子城を臨む側と反対の信州峠側は木が伐採され開けており、なるほど眺望がきくのがわかる。武田氏の頃に伝えの城として機能していたということが十分うかがい知ることが出来る。須玉町教育委員会(当時)は、なかなかいい仕事をする。

帰りは根小屋神社まで歩いて下山したのだが、途中で持参したコンパスにお針がまわったまま一向に止まらず、まったく使い物にならなくなり、道に迷いそうになってあせった。追い討ちをかけるように携帯電話も圏外になったままだし。2万5000分の1地形図を持っていも方角が分からないとどうしようもない。しばらくして、川と道路が見えてきて、地形図上での位置が特定できた。

約束の時間よりかなり早めに下山したのだが、携帯電話が圏外のままだったので、待ち合わせ時間の繰り上げもできず、まわりを見てまわることに。ちなみに根小屋神社にある登城案内のルートは確認できなかった。

のろし台として名前は取り上げられることは多いのだが、城郭として実際に現地が紹介されることは非常に少なく、なかなか大変だった。

Posted by 向かうところ手品師 at 2005年10月21日 21:52
トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hot-k.net/tawagoto2/mt-tb.cgi/30

コメント
コメントしてください




保存しますか?